初めての海外旅行 ー当時の記録ー  その6 古代都市 ベルガマ(ペルガモン) 〜38年前、18歳の旅

旅行

 初めての海外旅行について書こうと思いました。 当時18歳。まだインターネットもなく、海外旅行は今よりずっと「遠いもの」でした。 幸い、当時寄稿した文章が残っていたので、今回はそれをほぼ原文のまま引用し、今の視点で少しだけコメントを加えてみます。

以下引用

新月旗の国からこんにちは ートルコ紀行ー

 次にベルガマに向かう。バスは今までと違ってツーリストばかりだった。ベルガマは古代名をペルガモンと言い、古代都市の遺跡が残っている。まず、アスクレピオンへ行く。アスクレピオンは古代の医療センターの跡で、アスクレピオンは死者をよみがえらせることもできたという。列柱や劇場跡もある。夕暮れ時に劇場跡に座る。ここでも悲しいことに貧乏人根性が出てしまい、端っこの上のスチューデント席に座る。町で買っておいたビールを飲む。古代都市を眺めながら飲むビールも、また、格別である。

 団体客が来て舞台で歌ったりして遊んで帰っていく。彼ら団体客には、このような芸当(ゆっくりと夕暮れを遺跡で楽しむ)はできない。

 次の日は有名なアクロポリスに行く。ギリシャにも無いような広大な遺跡で、おまけに丘の上にあって、見るところが非常に多いので大変である。遺跡には五万人収容の劇場や二十万冊の蔵書があったといわれるペルガモン図書館もあった。当時の高い文化がうかがわれる。このように素晴らしい遺跡を見ていると、今より当時のほうが文化の水準が高かったのではないかと思ってしまう。

 途中、トルコ人の4人組と友達になり、一緒に町へ行ってチャイハネでお茶を飲む。ここでも、たくさんの人と友達になる。一緒にゲームをやったが、それは八×八のマス目のボードと三十二個の駒を使ってするゲームで、ルールが簡単なのですぐに覚えられた。所々うまい人が教えてくれたので勝ってばかりいたが、そのうまい人とやったらコテンパンにやられてしまった。その他トルコで一般的なゲームは、バックギャモン、ポーカー、マージャンに似たゲームであった。ポーカーもやったが、こちらはすこぶる快調で、大勝した。

 ベルガマの市街地を歩いていると、横から声がする。「こんにちは。あなたは日本人ですか?」 「日本語、分かるんですか?」とトルコ語で言ったら、彼は更に自分の知っている日本語をしゃべった。 「あなたは可愛い、あなたを愛します、結婚しましょう。」…

 それだけだったが、私も最初に覚えたトルコ語は、そのようなものだったので彼を責められない。彼は、兵役を終えたことを自慢げに話していた。

 その他いろいろ貴重な話を聞くことができた。ドイツ人やフランス人、イタリア人、中国人の娘はガードが薄く開けっぴろげだが、日本人の娘はガードが固く、難しいと言っていた。何が難しいか良く分からないが、私としてはトルコの娘と仲良くなりたかった。私が見た感じでは、ヨーロッパ人より慎ましくて綺麗だ。しかし、彼によると、トルコ人の娘は日本人の娘より難しく、ガイドブックによると、デートも兄弟姉妹の監視人が付くということだった。

 彼は女の人が通りかかると、たくさんの国の言葉で呼びかける。そちらの方面の彼の語学力は、あきれるを通り越して尊敬に値するものがある。しかし、彼が一番好きなのは日本人の娘で、名前を鈴木あかねと言うらしい。兵役の間に住所を書いた紙をなくしてしまい、非常に残念がっていた。

 彼と別れて宿に向かう途中、果物屋に寄ってメロンに似たものを買った。イスタンブールで切り売りしたものを食べたが、今まで食べたどんなメロンより美味かった。そこで大きなものを丸ごと一つ買って帰ったが、半分食べたら腹一杯になってしまった。

以上引用

 一人旅の利点は、気に入った場所に好きなだけ滞在できる点です。また、現地の人と交流しやすいところもあります。 ガイド付き団体旅行は、解説などが充実し、交通も便利です。 基本的には一人旅ですが、場合によって現地ツアーに申し込んだりします。

「メロンに似たもの」は、後で調べたらハミウリでした。56年生きてきて、あのハミウリ以上に美味しい瓜科の果物には出会っていません。

遺跡といい、食べ物といい、世界にはまだまだ知らないことがたくさんあると実感しました。

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