初めての海外旅行について書こうと思いました。 当時18歳。まだインターネットもなく、海外旅行は今よりずっと「遠いもの」でした。 幸い、当時寄稿した文章が残っていたので、今回はそれをほぼ原文のまま引用し、今の視点で少しだけコメントを加えてみます。
以下引用
新月旗の国からこんにちは ートルコ紀行ー
イスタンブールは2泊し、夜行バスで黒海の沿岸、ゾングルダックのアマスラへ行く。
トルコ国内の交通は長距離バスが一般的で、路線も発達している。バスはベンツ製で乗り心地は良い。
実は、このトルコ旅行における目的の一つに黒海を見ることがあった。普通のツーリストはエーゲ海や地中海へ行き、黒海は行かない。しかし、地図帳やガイドブックを眺めているうちに、どうしても行きたくなった。
アマスラは、イスタンブールの人々に聞いてもその名前を知っている人はいなかった。それだけ田舎だと思う。アマスラに近づくと、岬の上にローマ時代の城壁が見える。
バスを降りるとツーリストは私だけだった。観光局の人がすぐ寄ってきて一緒に宿を探してくれたが、そこは保養地で、長期滞在の人ばかりであった。ペンションは満員でようやく一軒、普通の家に泊めてもらうことになった。
昼寝をして夕方、チャイハネ(トルコの喫茶店)に単身乗り込んだ。いくらトルコが「堕落したイスラム教国」と言われても、ここは非常に保守的だ。つまり女性が一人もいないのだ。色々なところでチャイハネへ行ったが、とうとう一人も女性を見なかった。また、男女同権意識の強いヨーロッパ人の女性にも「チャイハネへ行ったか?」と聞いても怖くて入れないと言っていた。
日本人が珍しいらしく、みんな私を見る。一番近い席の3人組にちょっと挨拶すると、「こっちへきて座れ。」と言われ、みんなで雑談する。英語は通じないので、全てトルコ語だ。もちろん流暢に喋れないので辞書と睨めっこしながら喋った。彼らは郵便配達のバスの運転手、電気屋、漁師だった。その後、みんなと港を散歩した。小さな漁船に混じって貨物船もあった。彼らが言うには、この船は日本にサザエを運んでいると言う。こんな田舎でも日本に密接に関わっていると知って驚いた。
タタール人の少年と会う。何か早口の外国語で喋るので、「わからないよ。」と言ったら「タタール人じゃないみたいだね。」と言われる。日本人て言ったじゃないか!私はタタール人に似ているのだろうか?でもなんだか嬉しい。
夕食は泊まった家に招待される。炭焼きの牛肉のステーキをはじめ、トルコの食べ物をたくさん用意してくれる。「おいしい。」と言ったら、おばさんが食べきれないほど盛ってくれる。アマスラを離れる時は、おばさんが見送りをしてくれた。
以上引用
昔から今まで変わらないことは、地図を見るのが好きなことです。地図を見ているだけで、かなりの時間を過ごすことができます。昔と変わらないこともありました。
今しみじみと思うのが、地元の人たちに気軽に挨拶して交流できるのは、若さの特権だと言うことです。50を過ぎて、自分から挨拶することのハードルは上がったと思います。無視されたらどうしようとか、変に思われたらどうしようとか、考えてしまいます。他方、歳をとっても気軽に話しかけてすぐ打ち解ける人もいます。ほんの少しの勇気で世界は開くのかもしれません。 あの頃の自分に習って、もう一度、外側に向かって声をかけてみようと思います。
過去の自分から、教えられることもあるというのは、新たな発見です。 今の自分が、必ずしも過去の自分より優れているわけではないのかもしれません。 年齢を重ねることは、強くなることでもありますが、同時に慎重になることでもあるのでしょう。 ほんの少しの勇気を取り戻せば、世界はまた開くのかもしれません。




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