初めての海外旅行 ー当時の記録ー  その7 絹の町 ブルサ 〜38年前、18歳の旅

旅行

初めての海外旅行について書こうと思いました。 当時18歳。まだインターネットもなく、海外旅行は今よりずっと「遠いもの」でした。 幸い、当時寄稿した文章が残っていたので、今回はそれをほぼ原文のまま引用し、今の視点で少しだけコメントを加えてみます。

以下引用

新月旗の国からこんにちは ートルコ紀行ー

 次にブルサに向かう途中、アイワルックという所で下車して、エーゲ海をじっくり見た。乗り継ぎの関係で30分しか居ることができなかったが、自分なりに青い空、青い海、白い砂浜を感じることができた。

 ブルサに向かうバスでは、隣にデンマーク人の二人組の女の子が座った。北欧の娘もなかなか良い。勝手なものである。デンマークからトルコまで、陸伝いにバスで三日間かかってきたということだった。車掌が来て席を確認している。デンマーク人たちは、バスのチケットを無言で見せたが、私は、ただ「四十五」と自分の席の番号をトルコ語で言ったら、彼女たちはひどく驚いていた。

 旅の情報交換や日本のこと、デンマークのことを話しているうちにブルサに着いた。

 着いたのは良いが、どこに宿があるかも分からない。見栄を張って近くのトルコ人に道を聞いたが、早口で言われよく分からなかった。しかし、悲しいことに、彼女たちの手前わかったふりをしてしまった。もうちょっと勉強しておけば良かった。

 道を歩いているとトルコ人が話しかけてくるが、みんな日本人である私に声をかけてくる。これには私もデンマークの人も驚いた。

 宿を見つけて後で夕食を一緒に食べる約束をして別れた。

 まず、イスタンブールの航空会社にリコンファーム(予約再確認)した。その後、彼女達と落ち合って夕食を食べに行く。レストランはトルコ語でロカンタと呼ばれ、入口近くに調理場があって、そこで「これとこれが食べたい」と言えば良い。ふつう、肉料理とパン、スープ、ピラフ、サラダ、たまにデザートを頼むが二百円を超えることは滅多にない。

 トルコ料理は、世界三大料理の一つといわれ、あっさりとして日本人の口にも合い、とても美味しかった。

 雑談していたら店の人が寄ってきて、何やらドイツ語で話す。彼女達が通訳してくれたが、その内容は私に二人の妻がいると思ったという驚くべきものだった。

 この国も少し前までは一夫多妻制が認められていた。それがトルコ建国の父アタチュルクによって廃止された。また、彼によっていろいろな改革がなされた。日本の明治維新とも比較される。  

 次の日は、標高2543mのウルダア山に登った。麓からケーブルカーを使って頂上に行く。途中の乗り換え駅でブルサの町を見下ろす。ブルサは高原の町で、その昔はシルクロードを渡ってきた絹が全部ここに集められたので、絹の町と呼ばれている。晴れた空に映えてとても綺麗に見えた。

 その場所でお爺さんとその人の孫に会った。彼は私が日本人と知ると喜んでくれた。彼も朝鮮戦争に参加し、日本にも来たことがあるという。

「ジャパニーズシャンソン、南蛮杓子、チョット待って…」と、訳のわからない歌を歌ってくれて、二人で大笑いした。

 みんなで頂上へ行き、雑談しながら歩いた。ずーっと歩いて行くと、人が少なくなってきた。ちょっと行って何かいると思ったら野生の馬で、小川の水を飲んでいた。そこで昼食をとることにした。

 そのお爺さん、名前をアリさんと言い、調理道具や食料を持ってきていて、ご馳走してくれることになった。薪を集めて、あとはアリさんが料理を作るのでボーッとしていた。そのうち良い匂いがしてきて肉料理を食べることになった。一口食べると口の中にスパイシーな味が広がり、とても美味しかった。彼が言うには、そのスパイスはそこに生えている下草だと言う。においをかいでみると、なるほど良い香りがした。

以上引用

ブルサの山で食べた肉料理の香りは、今でもよく覚えています。
そのスパイスがオレガノだったと知ったのは、ずっと後のことでした。

旅の記録を読み返すと、若い頃の自分は、ずいぶん人と話し、よく笑っていたようです。
今の自分は少し落ち着きましたが、あの頃の好奇心だけは、できれば失わずにいたいと思います。

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