初めての海外旅行 ー当時の記録ー  その8 再びイスタンブール 〜38年前、18歳の旅

旅行

初めての海外旅行について書こうと思いました。 当時18歳。まだインターネットもなく、海外旅行は今よりずっと「遠いもの」でした。 幸い、当時寄稿した文章が残っていたので、今回はそれをほぼ原文のまま引用し、今の視点で少しだけコメントを加えてみます。

以下引用

新月旗の国からこんにちは ートルコ紀行ー

 次の日は、もう帰る日が近づいてきたのでイスタンブールに向かうことにする。長距離バス乗り場へ行くときも道順を人に聞いた。私が日本人と分かると「よく来た、よく来た」と言って握手をしてきて、なかなか離さない。素朴な人ばかりだ。

 イスタンブールへはフェリーに乗ってマルマラ海を渡り、電車に乗ってウシュクダラまで行き、ボスポラス海峡を渡って着いた。また、着いたときと同じホテルへ行く。フロントの人が私を覚えていてくれた。着いた時よりもだいぶトルコ語が上手くなっている。残念ながら屋上の宿泊場所は満員だそうで、タコ部屋に泊まった。

 トルコにいられるのも、あとわずかなので、まだ行っていない所やお土産を買いに行ったりした。

 トプカプ宮殿はイスタンブール第一の観光名所で、オスマン帝国時代に世界中から集めたという宝物があった。日本からは伊万里、有田焼の焼き物があった。その他膨大な量の中国の青磁・白磁のコレクション、ヨーロッパからの貢ぎ物があった。そして、ここの一番の見所は、なんといっても宝石で、黄金と宝石がぎっしりの鎧や冠、剣、そして世界最大八十六カラットの子供の握り拳ぐらいあると思われるダイヤモンドがあった。これだけ宝石が集められると感覚が麻痺してしまって、ありがたみが薄れてしまうように思えるが、そこは大陸のおおらかさなのだろう。

 地下宮殿は、4世紀、コンスタンチヌス帝の時代に造られた地下貯水地で、地下20メートルで366本の円柱で支えられ、全体の大きさは縦140メートル、横70メートル、高さは8メートルある。バレンス水道(二階建ての水道橋)を通ってきた水がここに溜められたわけで、こんなに古いものがよく残っているものだと、改めて石の文化に感心した。

 腹が減ったのでホテルのカフェテリアへ昼食を食べに行った。お土産に金をかけるためにパン一山とジャムを頼む。60円もしない。すると隣にいたヨーロッパ人のグループが哀れに思ったのか、もう要らないからと言って葡萄や西洋梨、チョコレートスプレッドなどをくれた。情けないが背に腹はかえられぬ。しかし、あちらの葡萄は皮をむかないで食べると初めて知った。しばらく見慣れぬ果物と格闘しているうちに、後ろに二人の女の子がいた。話を聞いてみると、ここに働きに来ている人の娘さんで13歳と10歳ということだった。ベルガマでやったゲームがあったのでやったが、なんとか勝てた。その後、折り紙を折ってあげた。折り紙はいつもショルダーバッグの中に忍ばせていて、何かの折にはトルコ人やヨーロッパ人に折ってあげた。自分でかなり不器用と思っていたが、鶴なんか折ってあげると非常に喜ばれた。それから日本のことを話してあげたり、トルコのことを聞いたり、日本語を教えてあげたりした。私が会ったトルコ人は日本語を熱心に学ぼうとする。彼女もそうだった。

 そのうち近くの絨毯屋に連れて行ってくれて、そこにはマサコさんという30歳の女の人がいた。彼女はトルコ語を学ぶためにイスタンブール大学に留学するところだという。いろいろ話を聞いたが、自分のやりたいことをするというのは素晴らしいが、なかなか大変だと思った。

 彼女達と別れてイスタンブール大学近くのバザールへ行き、英語・トルコ語辞典等の本を買って、そこら辺の店を冷やかしたり、食べ物を食べたりした。そして暗くなってきたのでホテルに帰ることにした。明日はトルコを発たなくてはならない。大学前のバス停でバスを待ち、「あー、トルコは素晴らしいな!」と」トルコ語で言ったら、そばにいた少年が、「どうして素晴らしいの?こんなに汚いのに。」と言った。トルコ人はゴミをそのまま路上に捨てるので、ちょっとゴミが多い。確かにそうかもしれないが、人々のおおらかさ、素朴さ、考え方など、日本にはないものがあるような気がした。それを説明するのは難しい。

 8時ごろホテルに帰ると路上に、まだ、その女の子がいた。「こんなに遅くまでどこ行ってたのよ!」と怒られてしまった。その子の友達を加え、路上で日本の歌を歌わされたり、踊りを踊らされたりした。また、トルコの踊りも教えてくれたが、こちらはモノにならなかった。そのうちある人のジェスチャーを当てるというゲームをしたが、日本代表として空手の真似をした。すると近くにいた男の子達がエキサイトして、そこらじゅうで格闘が始まってしまった。

 トルコの人と話していると、「空手できるか?」とよく聞かれた。空手は本格的にやったことはないが、その都度「少し」と答えていた。聞かれた相手がテコンドーの国際試合に出たという凄いのがいたりしてびっくりしたこともあった。

 そんなこんなしているうちに町中が「ワーッ!」と騒がしくなった。なんでも今サッカーのゲームをやっていて、ひいきのフェナルバフチェチームがガラタサライチームに勝ち越しの一点を入れたらしい。町中でひどい騒ぎようである。トルコではサッカーが盛んで、みんな阪神ファン並みに熱くなる。こんな日はツーリストにとって災難だろう。トルコ人と一緒に騒いで騒いでしまうに限る。天を指さし、「一番強いのはフェナルバフチェ!」と叫ばされたりした。結局その試合には勝って、町中で歌い始めたりして面白かった。

 サッカーの試合も終わり、12時ごろみんなウシュクダラに帰ることになった。「バイクで一緒に日本に行こうよ!」と、その女の子に言われたが大学に間に合わなくなるので辞退した。

 トルコを発つ日、グランドバザールへ行った。そこで、居合道部でもあり、新月刀という長刀が欲しかったので、買うことにした。初め値札を見て「高いよ!」と言ったら、「これは欧米人用の値段だ」と言って一挙に半額になった。そのあとジリジリ粘ってあと2割引いてもらった。

 アタチュルク国際空港へ向かうことにする。とうとうトルコと離れなければならない。両親達に心配かけたり、金も少なからずかかったが、今までにない貴重な体験をすることができた。自分の行きたい国に、比較的長い期間外国へ行けるのは学生のうちだけだと思うので、借金してでも自分の行きたい国へ行った方が良いと思う。

以上引用

完結しました。
帰国後、興奮冷めやらぬ中、この文章を一気に書き上げました。

旅を通じて外国の人や文化に触れ、自分の世界が急激に広がり、それまで当たり前だと思っていた自分の常識が大きく揺さぶられました。
そして将来、海外に関わる仕事や旅をしたいと強く思うようになりました。

実際に就職してからは、時には通訳をしたり、海外勤務を二度経験したり、日本でも外国人の多い職場で働いたりしてきました。
思えば、その原点はこの18歳の旅にあったのだと思います。

一方で、海外旅行を重ねた今振り返ると、この時の旅は、人付き合いで言えば「一目惚れ」のようなものだったとも感じます。
トルコという国に、強く心を奪われていたのです。

その後、旅を重ねる中で見えてきたこともあります。
それについては、また別の機会に書いてみたいと思います。

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