20代の頃、イタリアのトリノを旅行したことがあります。
ある日、突然のにわか雨に降られ、アパートの門のところで雨宿りをしていました。
すると、そこにいた老齢の婦人が、しきりに私に話しかけてきます。もちろんイタリア語です。当時の私はイタリア語がほとんど分からず、何を言っているのか理解できませんでした。
しばらくすると、その婦人はいったん姿を消しました。
ところが、しばらくして戻ってくると、手には傘がありました。そして、その傘を私に渡そうとしているようなのです。
最後に、婦人が「コメ・スィ・キアーマ?」と言いました。
「あなた、名前はなんていうの?」
その言葉だけは知っていました。
「ミ・キアーモ……○○」
そう自分の名前を伝えると、婦人は「○○」と私の名前を呼び、優しく頬を撫でてくれました。
言葉が通じたのは、ほんの一言だけでした。
それでも、その一言のおかげで、見知らぬ旅行者と現地のおばあさんとの間に、ほんの少し心が通じたように感じました。
現地の言葉を話せるということは、単に旅行が便利になるということではないのかもしれません。
たった一言でも、その土地の言葉を知っていることで、人との距離が近くなることがあります。
あのとき、「コメ・スィ・キアーマ?」を知っていて良かった。
今でも、トリノの雨と、あのおばあさんの笑顔を思い出します。
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