前回のブログ「笹谷峠から仙台神室岳へ|秋の山を歩く」で、「やらなかった後悔」が頭に浮かびました。
私には、今でも一つだけ心に残っている「やらなかった後悔」があります。
それは、「大学時代に、尊敬する先生のゼミを選ばなかったこと」です。
私が尊敬する人物は、親以外では、大学時代のある先生です。
その先生は、社会科学の一分野を教えていました。私が大学生の頃に書いたトルコ旅行記を褒めてくださったことがきっかけで、その後、時々先生の研究室に遊びに行くようになりました。
トルコ旅行記はこちら

先生は知識が豊富なだけでなく、精神的にも立派な方でした。それでいて、いつもニコニコしていて温厚で、話も面白い。姿勢もよく、退官された後にお邪魔したときにも、ロケット工学の本を読んでおられました。
専門分野だけでなく、退官後も新しいことを学び続ける。その姿を見て、向上心を持ち続けることの大切さを感じたことを覚えています。
いざゼミを選ぶ時期になり、その先生のゼミがあることを知りました。
もちろん、先生のゼミに入りたいという気持ちはありました。しかし、レポートの数が非常に多いという噂を聞き、「とても自分には無理だ」と思ってしまいました。そして、私は別のゼミを選びました。
今振り返ると、これが私の「やらなかった後悔」です。
これだけ長く生きていると、本当に尊敬できる人物に出会うことは、とても貴重なことだと思います。
ましてや、若い頃の自分にとって、身近に接することができ、直接教えを受けられる機会でした。それなのに、そのときの私は、そんなことの価値を十分に分かっていませんでした。
ただ、楽な道を選んでしまったのです。
では、今になって何ができるのでしょうか。
過去に戻って、そのゼミを選び直すことはできません。できることは、その「やらなかった後悔」を、その後の人生に活かすことしかありません。
まず、「やらなかった後悔を、できるだけしない」ようにしました。
辛くて苦しいことでも、ここぞというときには、自分がやりたいと思った道を選ばなければならないと思うようになりました。
また、下手の横好きに見えるかもしれませんが、興味を持ったことは、とりあえず試してみることにしました。
今ではもうやっていないモトクロスバイクや、年齢を重ねてから始めた剣道なども、そのときどきで、自分が納得できるところまでやったように思います。
そして、もう一つ心がけるようになったのが、「興味のある分野を勉強し続ける」ことです。
先生のゼミでは、自分で研究テーマを選ぶことができました。しかし、どれほど自由だったとしても、大学のゼミという限られた範囲の中での学びです。
それならば、先生のゼミを選ばなかったことを悔やみ続けるよりも、その後の人生で、自分の興味のあることを学び続ければいい。
そう考えるようになりました。
あのとき先生のゼミを選ばなかったことは、今でも少し心残りです。
それでも、その一つの後悔があったからこそ、その後の私は、「やってみたいことは、できるだけやってみる」「興味を持ったことは学び続ける」ということを意識するようになりました。
そう考えると、あのときの「やらなかったこと」は、今の自分にとって、決して無駄なものではなかったのかもしれません。
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